ホタルノヒカリの奇跡を信じて

シンクロニスティー
という言葉をご存じでしょうか?
2つか3つぐらい意味があって、今日言いたいのは
たとえば、久しぶりに電話しようと思ったら相手からかかってきた、
自分が言おうとしたり思ったことを相手が言ったり、思ったり、また同時に同じことを言ったり、
会うはずのないところで偶然会ってしまったり、そんな現象のことを言います。
男と男、女と女なら親友、女と男なら運命の人、になるケースが多いかと思います。
ぶちょーと蛍さんもシンクロニスティーの賜物だったのではないかと思います。
さて、私が生涯、シンクロニスティーを感じたのは女性2人、男性2人くらいです
そのうち1人は今の奥さんです、でもあまり強い感じは受けませんでした、それくらいの方が毎日生活するにはちょうどいいかもしれませんね、あまり解りすぎるのもどうかと思います。
さて、もう1人はやっかいなことに大学時代の、それも、入学式の前から、出会ってしまいました、それではまず出会いの経緯から、私は大学は静岡の大学で実家は名古屋だったので当然下宿です、なぜ静岡の大学になったかというと、現役の時
結構一生懸命勉強したのに全部落ちてしまって、一浪しました、浪人中、病気になってろくに勉強できず、今年もだめかと思っていたのですが、ここだけ受かりました、去年は落ちたのに、しかも下宿を決めたら、第一志望の学校からナゼか遅れて受かりましたと知らせがきました、でも下宿まで決めていたので断りました。その下宿は前の年、同じ高校の同じクラスの友達が受かって住んでいたところでしかも、2人も、そのうち1人は、例の男のうちの1人です、それで、半ば強引に部屋を予約してもらい、住むことになりました。駿河荘というアパート見たいな下宿屋で共同風呂、共同トイレ、共同炊事場でした何せ20何年前ですので、そこは珍しく男女一緒の下宿屋で、さしずめメゾン一刻のような感じと思ってください。
(おかげで4年間、男女の間でいろいろありました。)
そしたらいたのです、彼女も新入生で、同じ高校の友達と同じ学科に受かって
同じ下宿屋に入ってきて、私と同じ日に引っ越してきました。
その当時、下宿には池田さんという主のような人がいて、その人が下宿を仕切っていました、ギターが上手で毎月誕生会といって下宿の人を一番大きい部屋に集めてギターで伴奏して、みんなで歌を歌ったり、酒を飲んだりしました、またテレビがその当時下宿に2〜3台しかなく夜になると、テレビのある部屋にみんな集まっていました、当然下宿ですので女の人も男の人もTシャツ、ジャージ
がほとんどでした。またクーラーなどどこにもないので夜になってまだ暑いと
みんな玄関の外の風通りのよいたたきに集まって話しました、まさにホタルノヒカリの縁側のような雰囲気です、人数はだいぶ多いときもあったのですが、
そして、そこで私は彼女とのシンクロニスティーを感じたのです、いろんな場面で彼女と同じことを同時に言ってしまったり、考えていたことが一緒だったり、いろんな場所で偶然会ったり、同好会も一緒のところに入部したり、別に相談したり、話したり、狙ったりした訳でもないのに、そんなこんなで
恋愛に対して全くだめだめで馬鹿な私はすぐに舞い上がって、徹夜でしょっぱい手紙を
書いて渡したりなんかもしたのですが彼女はありがとうと言ってくれただけで
特に変わらず、いっしょに買い物に言ったり、話したりしたのですがまるで何もなかった様に変わりませんでした、自分も思いの丈をぶちまけたので満足してしまって、「まあ、いっか」ですごしてしまいました。
その後、彼女の方にもいろいろあって、自分の方にもいろいろあったのですが相変わらずシンクロニスティーは継続し続けました。実家へ帰る途中に彼女の実家もあるんですが、冬休みや、春休みに帰る途中、突然行って驚かしてやろうと思っても必ず待っていたようにいるし、どこかへ遊びに行こうと言うと同じところだったり、とにかく何があっても玄関先のあの空間は自分にとっては楽しかった、というか居心地がよかった、胸がつぶれるような、拳を握り締めるようなことがあってもそこで話していると元気になれました。4年の最期は就職も決まって卒論だけという状態になって、毎日結構余裕があってよく遊びに行きました、ただ一緒にいられるのがうれしくて、楽しくて先のことは何も考えませんでした、もし少しでも先のことを考える勇気があれば、もっと違った行動をとることもできたかもしれなかったのに、だめだめでした、彼女の方も、もし途中でうっとうしく感じられたらいつでも下宿なんて空いていたので変わることができたろうに最期まで一緒に住んでいました。
最期までつきあってくれたのはひょっとして私が一歩踏み出すのを待っていてくれた?20数年前の記憶です自分で美しく飾っているかもしれません。
そして私は名古屋で就職、彼女は浜松で先生になりました。
6年後、例の友達が静岡の大学時代一緒にやった合コンで知り合った子と結婚して名古屋の新居で落ち着いたとき、遊びにおいでといってくれたのでふと、彼女を思い出しました、今まで仕事関係で休みもぜんぜん合わず、仕事も大変だったので一回も電話はせず、年賀状だけだった、いや、誕生日にはおめでとう電報も打ったかな、気にはなっていたのですが次から次にいろんなことがあって、そんな状態の時、まさかOKしてくれるとは思わなかったのですが突然電話して一緒に行かないかと誘いました、そしたらもう知っていたようにすぐにOKしてくれて
安城から浜松の実家まで車で迎えに行き一緒に名古屋まで行きました、途中車の中では6年の月日がなかった様に盛り上がり、楽しかったです、友達も驚いていたけど、奥さんの方も知り合いだったので楽しく過ごせました、しかも遅くなったので帰れなくなり友達の家で彼女だけお泊まりになりました、私は、翌日仕事だったので夜中実家へ帰って、次の日は働いていました、そしてその日最期のシンクロニスティーが起こりました、昼の休憩時間なんてその日によって違うのにナゼか昼休みに彼女が会社に来ました。偶然ていってました、お昼を一緒に食べて、三河安城駅から新幹線に乗るといったので、あの駅は乗る人がほとんどいないので電車がきたら手を上げないと止まってくれないよと冗談を言ったら、きゃはは、と大笑いしてくれました、それが最期でした、
後で例の友達に「彼女とはどうしてうまく行かなかったんだ、うまくいってほしかった、もうだめなのか、」といわれてしまった。何か自分の心の一部が欠けてしまった様な感覚になったのはその後でした、すべては自分に勇気がなかった、自信がなかった、だめだめ鈍感男だったと後悔してもあとの祭りでした。
あのとき勇気を出して一歩踏み出していたらいったいどんな人生だったのだろうか。私は結婚してしまって彼女がどうなったか解りません。